山口絵理子さんって、どんな人?

山口絵理子
株式会社マザーハウス代表
1981年 埼玉生まれ
慶応義塾大学総合政策学部卒、バングラデッシュBRAC大学院開発学部修士課程修了
大学院卒業とともに、24歳で「株式会社マザーハウス」設立。

マザーハウス代表兼チーフデザイナー 山口絵理子

マザーハウス代表兼チーフデザイナー 山口絵理子

不登校と非行に走った小・中時代

それが「生意気だ」となったのか、最初は男子からの暴力が始まって、そこに女子も追随していって。私は孤立無援で、本当に毎日ケガだらけでした。半年くらいは踏ん張っていましたが、ついに給食も食べられなくなって……。

小学校時代に、朝礼に「出たくない」と反発したことから、生意気だと目をつけられてしまったそうです。
家を出ても、通学路をうろうろするだけの不登校状態が続く日々。

もっと強くなりたいと、思ったのは、それがきっかけでした。

強い心は、このころに育まれた。

強い心は、このころに育まれた。

高校では柔道の日々

女子柔道の強い埼玉栄高校ではなく、男子柔道部が県で最強といわれた大宮工業を選び、入学しました。
ここで男子と練習すれば強くなるにちがいない、そう確信したからだそうです。
柔道に打ち込む日々のなか、鼻の骨折2回、靭帯を切ること数回。
3年の大会では、県で優勝、関東大会で2位、全国大会で7位。

高校時代は柔道に明け暮れた日々

高校時代は柔道に明け暮れた日々

国際機関の援助が届いていない。 現地の大学院で感じたこと

慶応大学総合政策学部に入学後、ワシントンの米州開発銀行のインターンを経験。開発銀行の予算戦略本部で働きました。

ワシントンの帰り道、途上国の実情を自分の眼で見ようと、バングラデッシュへ渡ります。

貧困が街を覆いつくし、ストリートチルドレンが溢れかえっている様子に、衝撃を受けた。「国際機関の立場からたくさんの夢を与えていたはずなのに、それがまったく反映されていないという現実を見せつけられた」。たった2週間の滞在のつもりだったが、そのまま現地の大学院に進み、日本企業で働くなどして、貧困解決の答えを探し続けた。
自分の眼で確かめようと、現地へ飛んだ。

自分の眼で確かめようと、現地へ飛んだ。

開発銀行では、「心でなく頭で仕事をしている」と感じた彼女は、自分の眼で確かめようと、事務所のパソコンで「アジア最貧国」というキーワードで検索、出てきた「バングラデッシュ」の国名をみて、現地へ飛びました。

バックパッカー感覚で1週間ほどすごしましたが、このままではバングラデシュのことをまったく理解できないことに気づきました。でも、毎日24時間、この国のために自分ができることをひたすら考えていたんです。そこで思い立って、現地の大学院への進学を決意。バングラデシュでの生活で途上国の実状を知り、大学院で修士課程を修了し、開発銀行に戻り、正しい途上国援助の政策を提案していこうと。それがベストな選択だと、この時は確信していたのです。

頼み込んで大学院の入試を受けさせてもらい、合格したそうです。

日本商社の現地事務所でインターンをするうちに、見本市の会場でジュート(黄麻)に出会ったことが、彼女の運命を変えました。

ジュートとの出会いが人生を変える

ジュートとは、コーヒー豆などを運ぶ際の袋に使われる素材で、麻の一種です。

ジュートは、ふつうの植物の5~6倍の二酸化炭素を吸収し、廃棄の際にも有毒ガスを出さないし、肥料としても使えるそうです。大地から生まれて大地に帰る、エコな素材です。

そのうえ、インド・バングラデッシュが、総輸出量の90%を占めます。

山口さんは、これだ!と思い、インターン先の商社のプロジェクトとして、バッグをつくりました。




ジュートとの出会いがきっかけだった。

ジュートとの出会いがきっかけだった。

商社の副社長にプレゼンするも、「前例がない」とのことで、失敗。

自分でかいたデザイン画と、バイトで稼いだなけなしの資金をもとに、生産者探しから、始めます。

門前払いが続くなか・・・。

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